廃止からまもなく20年、信越本線碓氷峠。その自然と歴史を堪能しよう
高崎駅から横川駅まで「信越本線」という路線があります。信越とは東京と信濃(長野)と越後(新潟)を結ぶというごく単純な由来です。
しかし、この路線は群馬県安中市の横川駅止まり。信越に触れてもいません。どういう事なのでしょうか。
ということで、横川駅へ行ってみましょう。
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横川駅の先、碓氷峠へ
横川駅に到着。
もちろん、線路は途切れてますね。。
おっとこれは、、白線と線路が残ってますΣ(・□・
駅を出て進むと機関車が動いてました。
そう、この機関車がカギです、(笑) EF63「通称:ロクサン」と呼ばれるこの車両ですが、1997年9月30日に廃止された信越本線横軽「碓氷線」で活躍していました。
横川~軽井沢間の碓氷峠には66.7‰(1000メートル進むと標高が66.7メートル上がる)の急勾配があり、普通の鉄道車両だけではパワー不足だの空転だので進めませんでした。そこで、このEF63が列車を押してくれていた訳です。
現在は、横川~軽井沢はバス、軽井沢から篠ノ井までと長野~妙高高原は第三セクターのしなの鉄道が、妙高高原~直江津は同じく第三セクターのえちごトキめき鉄道が旧信越本線の区間を走っています。新幹線の開業で平行在来線の第三セクター化と廃止により、信越本線は3路線に分離されてしまいました。
こんな事情があって、切り離されてしまった高崎~横川間の路線は信越を通らないのに、信越本線という路線名のまま今でも運行されているという事です。
北陸新幹線が開通するまでは、東京と信越を結ぶ主要路線でした。
こちら、廃線跡を活用して整備された「アプトの道」という遊歩道です。アプトとは1963年まで使用されていた碓氷旧線の走行方式です。詳しくは記事の後半部分で紹介していますので、是非ご覧ください^^
踏切跡。
信号機が堂々と残っていました。20年経っても錆付いてるだけで、今にも稼働しそうな立派さです。
旧丸山変電所。こちらも1963年に廃止された碓氷旧線のものです。
上下線が開いてきたところで、早速急勾配が見えてきました。
峠の湯辺りに来ると、新線の廃線跡は遊歩道から別れていきます。
架線がよれよれで残っていました(笑)
進路を変えない分岐点。
現在はトロッコが左に分岐し峠の湯駅まで来ています。
丁度来ていました。
ここからは整備された旧線跡を歩いて行きます^^
これはトンネル工事を早く進める為に、横からも掘ったというような事を聞いた事がありますが、詳しくは分かりませんm(__)m 現役時代は退避口として使用されていたものと思われます。
トンネルを抜ければ、、、
碓氷湖です。イチョウの葉のような橋が見えます。
8月でも涼しいです^^
このバラスト?は当時の物なのでしょうか。
めがね橋
新線が見えてきましたー、というここは、、
碓氷第三橋梁こと「めがね橋」です。
約200万個のレンガが使われているとのことで、ものすごい迫力です。明治時代の建築物で、近代化遺産として重要文化財に指定されています。
遊歩道続き
排煙口?でしょうか、一か所だけ天井に穴が開いてました。
トンネルを出るとまるで別世界、、
中山道がかすかに見えます。
マイナスイオン?というか、霧で良い雰囲気の写真が撮影できます^^
涼しくて気持ち良いです^^
猿も心地よさそうです。
旧熊ノ平駅
旧熊ノ平駅に到着。ここには変電所がありました。
草を取り除けばすぐに列車を走らせられそうな状態、流石元幹線、簡単には腐らない。
廃墟となり20年経ってもこの迫力。
ホーム跡。
架線も山間部の雨風に晒され続けようが、外れる事無く真っ直ぐ張ったまま残っている。
変電所のジャンクション区間の端。
ホーム跡。
軽井沢方。霧の中へ消えていきました。
遊歩道はここで終わりです。
先が気になり、中山道を少しだけ軽井沢方へ。これは変電所へ自動車で入る道でしょうか。
と、その左側に廃線跡が!立ち入り禁止の手前まで行ってみました。
草が生い茂ってるものの、線路は確認できる状態でした。
と、こんな感じで草藪に突っ込んだ訳ですが、見事にヤマビル3匹にくっ付かれ、腹回り3か所噛まれて出血しました(^^; 皆様、真似はしないでくださいね、、(笑)
ということで、ここまで登って来た感じです。続いては、、峠の釜めし!
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おぎのや「峠の釜めし」
駅前すぐにあるおぎのや、ここ横川近辺には数か所あります。
峠の釜めし1000円、駅弁ですので釜は貰えます。それも益子焼のしっかりした釜です。
これ好きです(笑)
多彩な山の幸、季節の味わいも楽しめて美味しいです^^ かつては横川駅でこの釜めしを買って峠越えするのが、ここの一つの楽しみだったのですね。
漬物も付いてます。
駅構内には風情のある駅弁屋。良いですね~
続いては、鉄道文化村へ!
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碓氷峠鉄道文化村
入場したら早速ロクサンが出迎えてくれました(笑)
アプト式レール、ここに歯車を噛み合わせて走行する方式が1963年まで使用されていました。
ED42が室内で展示されていました。
トンネルが低く、架線が張れないということで、第三軌条方式が採用されていました。要するに架線を上から横にしたという事です。都心部でも銀座線、丸ノ内線で同じ方式が採用されています。
189系電車。183系のEF63連結対応版となってます。
リクライニングすると座面も動く仕様。
こちらは、ロクサンの運転室に入れるコーナーとなっていました。
メーターの数が、、、
手ブレーキ。
ロクサンの連結器は密着、自動連結器両対応となってます。
カッコいい^^
EF62。茶色塗装も良いですね。
銀色の機関車、なんか新鮮です(笑)
EF58。湘南顔風。
左側の189系がサビッサビですね、、塗装するにも大変ですからね。。
室内展示、あさま方向幕。
碓氷新線とロクサンの活躍が今でも人々の「記憶」に走り続けている、そんな感じがしますね^^
ということで、今回はここまでです。今では長野へは北陸新幹線、新潟へは上越新幹線と、速達性は上がり運賃も上がり。便利にはなったものの、鉄道の旅の良さがどこか消え去ってしまってるような気がします。復活して欲しいとまでは言えませんが、いつまでも記憶の中に鉄道が走り続ける、ここに鉄道が存在したという感慨深いものを味わう事だけでも良いのではないかと思います。
ご閲覧ありがとうございましたm(__)m
YouTubeチャンネルでは鉄道、廃墟関連の動画等をうpしています( •̀_•́ゞ
https://www.youtube.com/channel/UCIrBmQSiQWik5vsSRSw1idg/